建設当時の余部鉄橋の写真


建設当時の餘部鉄橋 建設当時の餘部 建設当時の餘部鉄橋
 
明治42年12月、山陰本線で最も難工事と言われた「餘部鉄橋」の建設工事は、始まった。
 鋼材はアメリカの工場で作られ、北九州の門司港へ運ばれ、さらに餘部港沖まで海上輸送された後、明治43年8月、ハシケにより陸揚げされた。明治45年3月1日に開通するまでに、延べ25万人の人夫が投入され、総工費は33万円余り。
 この鉄橋が完成したことによって、山陰本線は全線開通した。
 鉄橋の構造は、トレッスル式(鉄材を櫓に組む建設様式)で、長さ310.5メートル、高さ41メートル。当時の鉄道院技師 古川 晴一などによりアメリカ人技師ウルフェルスらと共に設計された。
 開通当時東洋一の高さと言われ、現在でもトレッスル式鉄橋では日本一の高さを誇る。

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